2015年9月5日土曜日

太宰府天満宮注連打奉納相撲大会

8月30日、太宰府天満宮の奉納相撲大会を見てきました。


毎年8月の最終日曜日に行われているこの大会、私も相撲を始めた二十歳の頃から毎年参加していましたが、今年に入ってからまともに稽古していないということもあり、参加を見送りました。

大会の流れとしては、午前中に小学生の部(団体戦と、学年別個人戦)があり、赤ちゃんの土俵入りを挟んで、午後から成年の部があります。成年と言っていますが、最近は下は中学生も出てきています。また大学相撲の強豪、九州情報大学が太宰府市にあるので、毎年2〜3チーム出場しています。

私が会場に着いたのがお昼時で、ちょうど赤ちゃんの土俵入りが行われていました。


今年は12チームが参加。例年はもっとたくさん出ているのですが、今年はこれだけでした。私がお世話になっている福岡市相撲連盟からは、福岡市、大濠武道館、住吉相撲クラブの3チームが出場しました。



予選を3回戦行い、上位8チームが決勝トーナメントに進みます。さすがに九州情報大、強いです(情報大Aが予選で一つ負けてますが、これは予選3回戦で情報大Bと対戦したため)。福岡市も3勝で決勝進出、大濠武道館は太宰府市との順位決定戦を制してこちらも決勝に進みましたが、住吉は予選で情報大A、B両方と当たる厳しい組み合わせで予選落ちしました。


決勝は抽選の結果このような形に。情報大は準決勝で同士討ちの形となり、情報大Bが決勝に進みました。福岡市も決勝1回戦で同士討ち、福岡市が勝ち進みました。準決勝で春日市を降して決勝へ。

なお、春日市チームは、実態は立命館APU相撲部のようです。

決勝は情報大Bが3-0で勝ち優勝、福岡市は準優勝でした。

相撲は、見てるだけでももちろん楽しいですが、やっぱり自分でやらないとちょっとつまらないと思ったり。もう一度体を鍛えて、来年は出たいなぁ。あと今年は九大相撲部がいませんでしたが、来年は出られますように。

2015年8月25日火曜日

相撲七大戦2015

今年の七大戦は8月23日に東北大学の主管で、宮城野原公園相撲場で行われました。私、ここ数年この大会は毎年手伝いがてら見に行っていたのですが、今年は母校の九大が不参加ということもあり、行きませんでした。
優勝は地元東北大学。北海道大学の相撲部は、まだ北大の体育会には非公認という扱いらしく、総合体育大会としての順位からは外されますが、実際は北大が2位のようです。

七大学全てに相撲部があるという状態になったのは2006年、阪大に相撲部が出来てからだったと思います。そこから数年は阪大や、北大(実は第一回からの皆勤賞なのですが、当初は相撲部ではなく、学生寮の有志がその都度チームを組んで出場していました)は、チームとしての基盤が弱く、下位に沈むことが多かったのですが、最近は力をつけてきており、今年は北大が準優勝。また2013年はこの2大学が3位に並んで順位決定戦なりました。

逆に、母校九大は2007年に準優勝、その後数年は入賞を狙える位置にはつけていたのですが、2012年〜14年は最下位に沈み、今年はついに参加もできない状態となりました。

相撲に限った話ではありませんが、学生のスポーツの宿命として、基本的には4年で引退しなければいけないということがあります(競技によっては、留年者や大学院生も変わらず出場できたりしますが)。強い選手が一人いたとしても、その人が4年で卒業してしまえばそれまでで、だからこそ、個々の強化と並行して、メンバーを確保することが重要になってきます。当たり前の話ですが。

2002年の相撲七大戦の閉会式の講評で東大の先生が、「数は力である」と仰られていて、その時私は一人で個人戦だけ参加していたので非常に耳が痛かったことを思い出します。

優勝した東北大学は、国体レベルの高校相撲の経験者がいるらしく、確実なポイントゲッターがいることが大きいのは間違いないのですが、東北大相撲部のホームページによると、部員が10人いるみたいで、まさに「数は力」を体現しているのかなと思います。
今回大躍進の北大も東北大と同様、高校相撲の経験者が一人いるみたいですが、北大相撲部のホームページを見ると部員は10人。3位の東大もホームページによると13人現役部員がいる模様です。

チームとして強くなるためには、まずは部員の確保が大切ですね。特に九大。

※あくまで個人の見解です。


2015年8月22日土曜日

相撲七大戦プレイバック8~14(簡易版)

 さて、今年の相撲七大戦はいよいよ明日行われます。開催までに過去14回の七大戦を振り返ろうと考えていたのですが、半分7回までしか終わりませんでした。残りの7回については、詳細はまた気が向いたらということで、対戦成績だけ貼り付けておきます。

第8回 

2008年8月21日、東北大学主管。仙台市宮城野原公園相撲場。
阪大は個人戦のみ出場。


※一部、筆者所有のメモに不備があり不完全版です。

大会終了後、オープン戦開催。

第9回

2009年8月23日、東京大学主管。江戸川区総合レクリエーション公園相撲場。

この大会から、七大学総合体育大会の正式種目化。



第10回

2010年8月22日、名古屋大学主管。名古屋市瑞穂公園相撲場。


第11回

2011年8月21日、北海道大学、名古屋大学主管。紋別市紋別公園。
京大は個人戦のみ出場。


第12回

2012年8月19日、九州大学主管。福岡市武道館相撲場。


大会終了後、OB戦開催。現役や部外者を含まない、純粋なOB戦はこの時が初めて。

第13回

2013年8月25日、大阪大学主管。堺市大浜公園相撲場。


第14回

2014年8月24日、京都大学主管。京都市武道センター相撲場。


2015年8月20日木曜日

相撲七大戦プレイバック7

第7回の相撲七大戦は2007年8月19日、京都大学の主管で京都市武道センター相撲場にて行われました。


初めて七大学全て揃ったこの年の大会は、それまでになく混戦模様となりました。混戦を演出したのが九州大学で、前大会まで一度も負けていなかった名古屋大学を降すなど、このまま行くかと思われましたが、最後の東北大学戦で敗れ、最終的には上記のような成績になりました。5勝22点で並んだ九大と名大が優勝決定戦を行い、今度は名大が勝ちました。名大はこれで7連覇。

2015年8月18日火曜日

相撲七大戦プレイバック4〜6

さて、筆者が選手として出場したのは第三回が最後で、その後は第七回以降はコーチやら監督やらとして応援に行ったりもしましたが、第4回から第6回までは手元に資料がなく、詳細がわからないので、わかっていることを書き連ねるに止めたいと思います。

第4回

2004年8月19日に、札幌市円山公園にて開催。この年は北大主管でしたが、相撲に関しては北大に正規の相撲部がなく、名大が共同主管校として名を連ねています。阪大、九大が不参加。5大学の総当たりの結果、名大が優勝、東大が2位でした(3位から5位は不明)。特記事項として、この年から体重別個人戦(65キロ未満、75キロ未満、75キロ以上)が開催されました。

第5回

2005年8月27日に、福岡市武道館にて開催。この年は九大主管でしたが、九大は不参加だったため、去年に引き続き名大が主管校となって行われました。阪大、九大が不参加、加えて東大が個人戦のみ2人参加でした。4大学総当たりの結果、名大が優勝、以下京大、東北大、北大の順番でした。本戦の後、OBや福岡市相撲連盟の選手も交えてオープン戦が行なわれました。

第6回

2006年8月21日、大阪府堺市大浜公園相撲場にて開催。この年、初めて阪大が参加、主管校も務めました(名大と共同で)。団体戦は、前年不参加だった九大、東大もこの年は出場しましたが、東北大が、なんらかの事情で参加できず、6大学による総当たりで行われました。名大が6年連続で優勝。以下、京大、東大、阪大、北大、九大の順番。

第7回以降はもう少し詳細にする予定。

相撲七大戦プレイバック3

第三回の相撲七大戦は、2003年7月27日に、名古屋大学の主管で開催されました。

この大会は、本戦に先駆けで前日の26日に、OBや他大学の選手も参加できるオープン戦も開催されました。交通の都合で参加できなかった大学もありましたが、出場選手にとっては前日調整も兼ねたものとなりました。レセプションはその夜に行われました。

翌27日は本戦。今大会も阪大は不参加。加えて、九大も二人しか選手がいなかったため、本来なら団体戦には出られなかったのですが、「せっかく九州から来たのに、個人戦だけで帰らせるのはかわいそうだから」との、主管校の判断で、団体戦にも参加しました。とは言え、二人しかいないので、二人とも勝っても2-3になるので、基本的には勝つことはできないのですが。

さて、結果です。過去二回の大会では、終了後に主管校から詳細な結果が送られてきたのですが、第三回以降はそれがなくなったようで、大学同士の対戦成績がわからないので、当時のメモ書きと私の記憶を頼りに書いていこうと思います。

優勝は名古屋大学で、3年連続全勝優勝でした。以下東大、京大、北大と続き、東北と九大が5位に並びました。前述の通り、基本的には九大は勝てない筈でしたが、東北大も4人での出場だったため、2-2の引き分けに持ち込んで、最終順位も同点でした。


なお私はこの大会、団体戦と個人戦に出場しましたが、当時大学院2年だった私が個人戦に出場したことに関して、大会後の代表者会議で揉めまして、このことから、第二回と第三回の間に現行の規約(七大戦の話参照)ができたと考えられます。

その他特記事項として、この年は名大と東大に女子部員が一人ずついたため、相撲七大戦において初めて、そして現時点で唯一の女子個人戦が行われました。

2015年8月13日木曜日

相撲七大戦プレイバックpart2

第一回大会が2001年3月に行われたその年の夏、七大学の体育会役員による会議にて、相撲競技開催が承認され、翌年からオープン競技となることが決まりました。

その第二回大会は、2002年8月3日、東北大学の主管で、宮城県仙台市宮城野原公園県営相撲場で行われました。

前年同様、大阪大学にはまだ相撲部がないため不出場。加えて九州大学は個人戦に一人のみエントリー(※筆者です)。団体戦は5大学の総当たりによって争われた。


 名大が2年連続で全勝優勝。この年も名大と東大が2強で、地元の東北大学が3位入賞しました。

上記の通り、筆者は個人戦のみ参加しましたが、このときわたくし大学院の修士1年で、現行の規約(七大戦の話参照)では個人戦には参加できないのですが、このときは何も言われなかったので、おそらくまだ規約ができていなかったと思われます。

続く

2015年7月27日月曜日

相撲七大戦プレイバック

今年の七大戦は、8月23日に仙台市にて行われます。開催まであと1ヶ月を切りました。そこで、過去14回の相撲七大戦の結果を振り返ってみようと思います。まずは第一回から。

以前書いたとおり、相撲が七大戦に参加するきっかけは、2000年の名古屋大学相撲部の復活でした。この名大相撲部が音頭をとる形で相撲で七大戦を行うことになりました。2001年3月、名大相撲部が主管となり、まずは総合体育大会の七大戦とは別に独自で開催しました。

さて、実際に行われた相撲七大戦、とは言っても大阪大学には相撲部がなく、実際は六大学で行われました。また、北海道大学は正規の相撲部はなく、この時は学生寮の有志が集まっての参加でした。因みに北大は、このような形で国公立戦にもたまに出場しており、もともとそういった伝統というか気質というか、そのようなものがあったようです。その一方、主管の名古屋大学は、工学部のとある研究室のメンバーが集まってできたもので、この当時は大学院生中心ながら、20名以上の大所帯でエントリーしていました。

結果


名大は東大戦で1点取られた以外は全て5-0の完封勝利という圧勝劇。東大も、名大戦以外は5-0または4-1で他を圧倒。他の4大学は似たり寄ったりの成績でしたが、僅差で京大が3位に滑り込み。4位の北大、先に述べたとおりこの大会のために集められた急造相撲部でしたが、京大、東北大に勝ったりと健闘しました。東北と九大は、5人制の団体戦に3人で出場しており、まあそういう事です。これを書いている2015年現在では信じられないでしょうが、この当時は東北大と九大はライバルといってもいいくらいの力関係でした。

因みにこの大会では、総当たりが終わったあとに3位と2位のチームが対戦、次にその勝者と1位が対戦して優勝を決めるという、プロ野球のクライマックスシリーズみたいな事が行われました。ただ団体戦の結果を見てもわかるように、3位と2位、2位と1位の差がそれぞれ大きく、ここでの下剋上はありませんでした。

なおこの翌日には、各大学のOBや親交のある他大学にも声をかけて、オープン戦も行われました。今でもたまに行われるオープン戦やOB戦は、第一回の時点で行われていたのです。

大盛況で終了した第一回相撲七大戦ですが、その年の夏の会議を経て、まずはオープン競技という扱いながら、総合体育大会への参加が認められました。翌年からは総合体育大会と同じ時期、同じ主管校で行われる事となりました。

続く

2015年7月19日日曜日

七大戦の話

七大戦とは

正式名称を全国七大学総合体育大会といい、北海道大学、東北大学、東京大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学、九州大学の旧帝國七大学によって行われる総合体育大会です。第一回は、1962年に北海道大学の主管で行われました。

七大戦における相撲競技

七大戦に競技が採用されるためには、7大学中5大学で当該競技を行う、各大学体育会公認の団体がある必要があります(相撲が採用される時はそうでした。現時点では変わっているかもしれません)。七大戦において相撲が初めて行われたのが2001年。それ以前は、東大、京大、東北大、九大の4大学しか相撲部がなかったので、七大戦には参加できませんでした。また、毎年5月に国公立戦があり、七大学に該当する大学は国公立戦にも出場するので、あえて別に行うこともないのではないかという意見もあったように思います。

この流れが変わったのが2000年。この年、名古屋大学に相撲部が設立されました(名大には戦前に相撲部があったらしく、正確に言うと復活ということになります)。この名大が音頭を取る形で、相撲も七大戦をやろうという機運が高まり、2001年第一回が行われました。この時点では、総合体育大会へはまだ参加しておらず、独自で行われた大会でした。この年の総合体育大会は東大が主管だったのですが、このような経緯から、この大会は名大主管で行われました。第二回大会から、総合体育大会に採用され(オープン参加→2008年に正式種目化)、総合体育大会と同じ大学の主管で行われることとなりました。

出場資格

原則初出場から4年間(医学部等は6年間)までという制限があります。1年次に入部していれば4年生までしか出られませんが、例えば3年から入部の場合は、大学院進学や留年などにより大学にとどまっていれば、4年生が終わっても、あと2年出場できるというわけです。ただし、団体戦(5人制)に出場するための最低限必要な人数(3人)に足りない場合に、大学に残っているOB(大学院や留年により)に限り出場できる救済措置があります(部員が2人しかいない場合はOB1人、部員が1人の時はOB2人の出場が可能)。この場合出場できるのは団体戦だけで、個人戦はエントリーできません。

この規定がいつからできたのか、筆者は正確には覚えていませんが、私は第1回から3回まで選手として出場しましたが、このうち第2回と3回は、上記で言うところのOB枠だったのですが、個人戦にも出場しました。しかし、第3回終了直後の会議で、私が個人戦に出場したことで少々揉めた記憶があるので、第3回の時点で規定はあったのかもしれません。

また途中、OB枠の扱いが緩くなって、部員が5人に満たない大学の5人目としてOBが出場したケースもあったりしましたが、現在ではまた厳密になっている模様です。

なおこの規定は、相撲競技におけるもので、七大戦の他の競技に関しては、私はわかりません。

過去の記録


ご覧のように、初期は名古屋大学が他を圧倒、ついで東京大学が上位に入ることが多かったですが、近年では東北大学も上位に食い込むことが増え、現在は団体戦2連覇中です。

そして今年はその東北大学主管で行われます。

2015年7月11日土曜日

九州大学相撲部の話

九州大学相撲部は1994年、学生寮である田島寮の寮生が中心となって設立されました。今年で創部22年目です。筆者が入部したのは1998年、創部5年でした。当時は創部メンバーが院1年生として残っていましたが、現役部員は4年生が2人だけ、新入学生としては3年ぶりの新入部員でした。

私の同級生は、4月中にもう一人と、間があいて4年生に上がる直前にもう一人入部しました。後輩に関しては、私が2年生の時に新入学生が一人入部したもののすぐにやめてしまい、以後は私の現役時代は誰も入部しませんでした。2004年に、4年生や留学生が3人ほど入部しましたが、新入学生の新入部員が次に入るのは2006年でした。

つわものどもがゆめのあと 
 
こちらは私の先輩のブログ記事で、今から10年前の2005年に書かれたもの。記事には相撲部が消滅と記されていますが、これはちょっとした連絡の行き違いみたいなもので、実際には消滅しておりません。まあ、記事にある通り、存在しているかしていないんだかよく分からない状態ではありましたが。

上記ブログ内に2005年までの部員の推移が書かれていますので、2006年以降の推移を以下に示します。


院生の中には留年生(5年生)も含みます。2006年以降しばらくは毎年誰かしら新入生が入部していたのですが、2012年以降は、部員の友達や後輩を引き込む形で加わったメンバーはいるものの、新入生の入部は途切れてしまいました。

いくら部員が少なくても、核となる部員がいて部を回すことができればなんとかやっていけるものです。しかし、現在の部員は大学院生だけ。その役割を院生に望むのは酷だと思います。自分も経験がありますが、後輩ができないまま大学院に進学した後は、部員の勧誘もままならない状態でした。

しかし、私の時と違って、今は九大相撲部に部員が少なくても、福岡工業大学の相撲部のできましたし、福岡市の社会人メンバーの活動も活発ですので、稽古相手には困らないと思います。

九州大学相撲部、部員募集中です。

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