2015年7月19日日曜日

七大戦の話

七大戦とは

正式名称を全国七大学総合体育大会といい、北海道大学、東北大学、東京大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学、九州大学の旧帝國七大学によって行われる総合体育大会です。第一回は、1962年に北海道大学の主管で行われました。

七大戦における相撲競技

七大戦に競技が採用されるためには、7大学中5大学で当該競技を行う、各大学体育会公認の団体がある必要があります(相撲が採用される時はそうでした。現時点では変わっているかもしれません)。七大戦において相撲が初めて行われたのが2001年。それ以前は、東大、京大、東北大、九大の4大学しか相撲部がなかったので、七大戦には参加できませんでした。また、毎年5月に国公立戦があり、七大学に該当する大学は国公立戦にも出場するので、あえて別に行うこともないのではないかという意見もあったように思います。

この流れが変わったのが2000年。この年、名古屋大学に相撲部が設立されました(名大には戦前に相撲部があったらしく、正確に言うと復活ということになります)。この名大が音頭を取る形で、相撲も七大戦をやろうという機運が高まり、2001年第一回が行われました。この時点では、総合体育大会へはまだ参加しておらず、独自で行われた大会でした。この年の総合体育大会は東大が主管だったのですが、このような経緯から、この大会は名大主管で行われました。第二回大会から、総合体育大会に採用され(オープン参加→2008年に正式種目化)、総合体育大会と同じ大学の主管で行われることとなりました。

出場資格

原則初出場から4年間(医学部等は6年間)までという制限があります。1年次に入部していれば4年生までしか出られませんが、例えば3年から入部の場合は、大学院進学や留年などにより大学にとどまっていれば、4年生が終わっても、あと2年出場できるというわけです。ただし、団体戦(5人制)に出場するための最低限必要な人数(3人)に足りない場合に、大学に残っているOB(大学院や留年により)に限り出場できる救済措置があります(部員が2人しかいない場合はOB1人、部員が1人の時はOB2人の出場が可能)。この場合出場できるのは団体戦だけで、個人戦はエントリーできません。

この規定がいつからできたのか、筆者は正確には覚えていませんが、私は第1回から3回まで選手として出場しましたが、このうち第2回と3回は、上記で言うところのOB枠だったのですが、個人戦にも出場しました。しかし、第3回終了直後の会議で、私が個人戦に出場したことで少々揉めた記憶があるので、第3回の時点で規定はあったのかもしれません。

また途中、OB枠の扱いが緩くなって、部員が5人に満たない大学の5人目としてOBが出場したケースもあったりしましたが、現在ではまた厳密になっている模様です。

なおこの規定は、相撲競技におけるもので、七大戦の他の競技に関しては、私はわかりません。

過去の記録


ご覧のように、初期は名古屋大学が他を圧倒、ついで東京大学が上位に入ることが多かったですが、近年では東北大学も上位に食い込むことが増え、現在は団体戦2連覇中です。

そして今年はその東北大学主管で行われます。