七大戦とは何かということに関しては、2年前の投稿(七大戦の話)を参照してください。
九大相撲部は、2年前の2015年から七大戦相撲に参加していないのですが、このままいくと再来年の2019年に九大主管の順番になります。とはいえ、今現在相撲部が休部状態でありますので、このままの状態ですと九大では行えず、おそらく他の大学が代わりに主管をするか、という話になると思います。
もちろん、七大戦のためだけに相撲部があるわけではありませんが、七大戦なのに七大学で行えないことを残念に思っている他大学の方もいますし(だからこそ他大学のOBが復活準備室を立ち上げて支援してくれているのです)、せっかくの地元開催ですのでそれまでになんとか相撲部を復活できたらなぁと思います。もちろんそうなった暁には、私もOBとしてお手伝いしたいと思っています。
以前このブログで、七大戦プレイバックというエントリーを作りました。これまで行われてきた七大戦の記録を(2015年までですが)まとめていますので、ご覧ください。
相撲七大戦プレイバック
相撲七大戦プレイバックpart2
相撲七大戦プレイバック3
相撲七大戦プレイバック4~6
相撲七大戦プレイバック7
相撲七大戦プレイバック8~14
相撲七大戦2015
2016-17年版も作らないとなあ。
2017年11月2日木曜日
2015年8月25日火曜日
相撲七大戦2015
今年の七大戦は8月23日に東北大学の主管で、宮城野原公園相撲場で行われました。私、ここ数年この大会は毎年手伝いがてら見に行っていたのですが、今年は母校の九大が不参加ということもあり、行きませんでした。
七大学全てに相撲部があるという状態になったのは2006年、阪大に相撲部が出来てからだったと思います。そこから数年は阪大や、北大(実は第一回からの皆勤賞なのですが、当初は相撲部ではなく、学生寮の有志がその都度チームを組んで出場していました)は、チームとしての基盤が弱く、下位に沈むことが多かったのですが、最近は力をつけてきており、今年は北大が準優勝。また2013年はこの2大学が3位に並んで順位決定戦なりました。
逆に、母校九大は2007年に準優勝、その後数年は入賞を狙える位置にはつけていたのですが、2012年〜14年は最下位に沈み、今年はついに参加もできない状態となりました。
相撲に限った話ではありませんが、学生のスポーツの宿命として、基本的には4年で引退しなければいけないということがあります(競技によっては、留年者や大学院生も変わらず出場できたりしますが)。強い選手が一人いたとしても、その人が4年で卒業してしまえばそれまでで、だからこそ、個々の強化と並行して、メンバーを確保することが重要になってきます。当たり前の話ですが。
2002年の相撲七大戦の閉会式の講評で東大の先生が、「数は力である」と仰られていて、その時私は一人で個人戦だけ参加していたので非常に耳が痛かったことを思い出します。
優勝した東北大学は、国体レベルの高校相撲の経験者がいるらしく、確実なポイントゲッターがいることが大きいのは間違いないのですが、東北大相撲部のホームページによると、部員が10人いるみたいで、まさに「数は力」を体現しているのかなと思います。
今回大躍進の北大も東北大と同様、高校相撲の経験者が一人いるみたいですが、北大相撲部のホームページを見ると部員は10人。3位の東大もホームページによると13人現役部員がいる模様です。
チームとして強くなるためには、まずは部員の確保が大切ですね。特に九大。
※あくまで個人の見解です。
【相撲】
1位 東北大学
2位 東京大学
3位 名古屋大学
4位 京都大学
5位 大阪大学
※北海道大学は承認団体
※九州大学は該当団体なし
— 七大戦 (@nanadaisen) 2015, 8月 24
優勝は地元東北大学。北海道大学の相撲部は、まだ北大の体育会には非公認という扱いらしく、総合体育大会としての順位からは外されますが、実際は北大が2位のようです。七大学全てに相撲部があるという状態になったのは2006年、阪大に相撲部が出来てからだったと思います。そこから数年は阪大や、北大(実は第一回からの皆勤賞なのですが、当初は相撲部ではなく、学生寮の有志がその都度チームを組んで出場していました)は、チームとしての基盤が弱く、下位に沈むことが多かったのですが、最近は力をつけてきており、今年は北大が準優勝。また2013年はこの2大学が3位に並んで順位決定戦なりました。
逆に、母校九大は2007年に準優勝、その後数年は入賞を狙える位置にはつけていたのですが、2012年〜14年は最下位に沈み、今年はついに参加もできない状態となりました。
相撲に限った話ではありませんが、学生のスポーツの宿命として、基本的には4年で引退しなければいけないということがあります(競技によっては、留年者や大学院生も変わらず出場できたりしますが)。強い選手が一人いたとしても、その人が4年で卒業してしまえばそれまでで、だからこそ、個々の強化と並行して、メンバーを確保することが重要になってきます。当たり前の話ですが。
2002年の相撲七大戦の閉会式の講評で東大の先生が、「数は力である」と仰られていて、その時私は一人で個人戦だけ参加していたので非常に耳が痛かったことを思い出します。
優勝した東北大学は、国体レベルの高校相撲の経験者がいるらしく、確実なポイントゲッターがいることが大きいのは間違いないのですが、東北大相撲部のホームページによると、部員が10人いるみたいで、まさに「数は力」を体現しているのかなと思います。
今回大躍進の北大も東北大と同様、高校相撲の経験者が一人いるみたいですが、北大相撲部のホームページを見ると部員は10人。3位の東大もホームページによると13人現役部員がいる模様です。
チームとして強くなるためには、まずは部員の確保が大切ですね。特に九大。
※あくまで個人の見解です。
2015年8月22日土曜日
相撲七大戦プレイバック8~14(簡易版)
さて、今年の相撲七大戦はいよいよ明日行われます。開催までに過去14回の七大戦を振り返ろうと考えていたのですが、半分7回までしか終わりませんでした。残りの7回については、詳細はまた気が向いたらということで、対戦成績だけ貼り付けておきます。
阪大は個人戦のみ出場。
※一部、筆者所有のメモに不備があり不完全版です。
大会終了後、オープン戦開催。
この大会から、七大学総合体育大会の正式種目化。
京大は個人戦のみ出場。
大会終了後、OB戦開催。現役や部外者を含まない、純粋なOB戦はこの時が初めて。
第8回
2008年8月21日、東北大学主管。仙台市宮城野原公園相撲場。阪大は個人戦のみ出場。
※一部、筆者所有のメモに不備があり不完全版です。
大会終了後、オープン戦開催。
第9回
2009年8月23日、東京大学主管。江戸川区総合レクリエーション公園相撲場。この大会から、七大学総合体育大会の正式種目化。
第10回
2010年8月22日、名古屋大学主管。名古屋市瑞穂公園相撲場。第11回
2011年8月21日、北海道大学、名古屋大学主管。紋別市紋別公園。京大は個人戦のみ出場。
第12回
2012年8月19日、九州大学主管。福岡市武道館相撲場。大会終了後、OB戦開催。現役や部外者を含まない、純粋なOB戦はこの時が初めて。
第13回
2013年8月25日、大阪大学主管。堺市大浜公園相撲場。第14回
2014年8月24日、京都大学主管。京都市武道センター相撲場。2015年8月20日木曜日
相撲七大戦プレイバック7
第7回の相撲七大戦は2007年8月19日、京都大学の主管で京都市武道センター相撲場にて行われました。
初めて七大学全て揃ったこの年の大会は、それまでになく混戦模様となりました。混戦を演出したのが九州大学で、前大会まで一度も負けていなかった名古屋大学を降すなど、このまま行くかと思われましたが、最後の東北大学戦で敗れ、最終的には上記のような成績になりました。5勝22点で並んだ九大と名大が優勝決定戦を行い、今度は名大が勝ちました。名大はこれで7連覇。
2015年8月18日火曜日
相撲七大戦プレイバック4〜6
さて、筆者が選手として出場したのは第三回が最後で、その後は第七回以降はコーチやら監督やらとして応援に行ったりもしましたが、第4回から第6回までは手元に資料がなく、詳細がわからないので、わかっていることを書き連ねるに止めたいと思います。
第7回以降はもう少し詳細にする予定。
第4回
2004年8月19日に、札幌市円山公園にて開催。この年は北大主管でしたが、相撲に関しては北大に正規の相撲部がなく、名大が共同主管校として名を連ねています。阪大、九大が不参加。5大学の総当たりの結果、名大が優勝、東大が2位でした(3位から5位は不明)。特記事項として、この年から体重別個人戦(65キロ未満、75キロ未満、75キロ以上)が開催されました。第5回
2005年8月27日に、福岡市武道館にて開催。この年は九大主管でしたが、九大は不参加だったため、去年に引き続き名大が主管校となって行われました。阪大、九大が不参加、加えて東大が個人戦のみ2人参加でした。4大学総当たりの結果、名大が優勝、以下京大、東北大、北大の順番でした。本戦の後、OBや福岡市相撲連盟の選手も交えてオープン戦が行なわれました。第6回
2006年8月21日、大阪府堺市大浜公園相撲場にて開催。この年、初めて阪大が参加、主管校も務めました(名大と共同で)。団体戦は、前年不参加だった九大、東大もこの年は出場しましたが、東北大が、なんらかの事情で参加できず、6大学による総当たりで行われました。名大が6年連続で優勝。以下、京大、東大、阪大、北大、九大の順番。第7回以降はもう少し詳細にする予定。
相撲七大戦プレイバック3
第三回の相撲七大戦は、2003年7月27日に、名古屋大学の主管で開催されました。
この大会は、本戦に先駆けで前日の26日に、OBや他大学の選手も参加できるオープン戦も開催されました。交通の都合で参加できなかった大学もありましたが、出場選手にとっては前日調整も兼ねたものとなりました。レセプションはその夜に行われました。
翌27日は本戦。今大会も阪大は不参加。加えて、九大も二人しか選手がいなかったため、本来なら団体戦には出られなかったのですが、「せっかく九州から来たのに、個人戦だけで帰らせるのはかわいそうだから」との、主管校の判断で、団体戦にも参加しました。とは言え、二人しかいないので、二人とも勝っても2-3になるので、基本的には勝つことはできないのですが。
さて、結果です。過去二回の大会では、終了後に主管校から詳細な結果が送られてきたのですが、第三回以降はそれがなくなったようで、大学同士の対戦成績がわからないので、当時のメモ書きと私の記憶を頼りに書いていこうと思います。
優勝は名古屋大学で、3年連続全勝優勝でした。以下東大、京大、北大と続き、東北と九大が5位に並びました。前述の通り、基本的には九大は勝てない筈でしたが、東北大も4人での出場だったため、2-2の引き分けに持ち込んで、最終順位も同点でした。
なお私はこの大会、団体戦と個人戦に出場しましたが、当時大学院2年だった私が個人戦に出場したことに関して、大会後の代表者会議で揉めまして、このことから、第二回と第三回の間に現行の規約(七大戦の話参照)ができたと考えられます。
その他特記事項として、この年は名大と東大に女子部員が一人ずついたため、相撲七大戦において初めて、そして現時点で唯一の女子個人戦が行われました。
この大会は、本戦に先駆けで前日の26日に、OBや他大学の選手も参加できるオープン戦も開催されました。交通の都合で参加できなかった大学もありましたが、出場選手にとっては前日調整も兼ねたものとなりました。レセプションはその夜に行われました。
翌27日は本戦。今大会も阪大は不参加。加えて、九大も二人しか選手がいなかったため、本来なら団体戦には出られなかったのですが、「せっかく九州から来たのに、個人戦だけで帰らせるのはかわいそうだから」との、主管校の判断で、団体戦にも参加しました。とは言え、二人しかいないので、二人とも勝っても2-3になるので、基本的には勝つことはできないのですが。
さて、結果です。過去二回の大会では、終了後に主管校から詳細な結果が送られてきたのですが、第三回以降はそれがなくなったようで、大学同士の対戦成績がわからないので、当時のメモ書きと私の記憶を頼りに書いていこうと思います。
優勝は名古屋大学で、3年連続全勝優勝でした。以下東大、京大、北大と続き、東北と九大が5位に並びました。前述の通り、基本的には九大は勝てない筈でしたが、東北大も4人での出場だったため、2-2の引き分けに持ち込んで、最終順位も同点でした。
なお私はこの大会、団体戦と個人戦に出場しましたが、当時大学院2年だった私が個人戦に出場したことに関して、大会後の代表者会議で揉めまして、このことから、第二回と第三回の間に現行の規約(七大戦の話参照)ができたと考えられます。
その他特記事項として、この年は名大と東大に女子部員が一人ずついたため、相撲七大戦において初めて、そして現時点で唯一の女子個人戦が行われました。
2015年8月13日木曜日
相撲七大戦プレイバックpart2
第一回大会が2001年3月に行われたその年の夏、七大学の体育会役員による会議にて、相撲競技開催が承認され、翌年からオープン競技となることが決まりました。
その第二回大会は、2002年8月3日、東北大学の主管で、宮城県仙台市宮城野原公園県営相撲場で行われました。
前年同様、大阪大学にはまだ相撲部がないため不出場。加えて九州大学は個人戦に一人のみエントリー(※筆者です)。団体戦は5大学の総当たりによって争われた。
名大が2年連続で全勝優勝。この年も名大と東大が2強で、地元の東北大学が3位入賞しました。
上記の通り、筆者は個人戦のみ参加しましたが、このときわたくし大学院の修士1年で、現行の規約(七大戦の話参照)では個人戦には参加できないのですが、このときは何も言われなかったので、おそらくまだ規約ができていなかったと思われます。
続く
その第二回大会は、2002年8月3日、東北大学の主管で、宮城県仙台市宮城野原公園県営相撲場で行われました。
前年同様、大阪大学にはまだ相撲部がないため不出場。加えて九州大学は個人戦に一人のみエントリー(※筆者です)。団体戦は5大学の総当たりによって争われた。
名大が2年連続で全勝優勝。この年も名大と東大が2強で、地元の東北大学が3位入賞しました。
上記の通り、筆者は個人戦のみ参加しましたが、このときわたくし大学院の修士1年で、現行の規約(七大戦の話参照)では個人戦には参加できないのですが、このときは何も言われなかったので、おそらくまだ規約ができていなかったと思われます。
続く
2015年7月27日月曜日
相撲七大戦プレイバック
今年の七大戦は、8月23日に仙台市にて行われます。開催まであと1ヶ月を切りました。そこで、過去14回の相撲七大戦の結果を振り返ってみようと思います。まずは第一回から。
以前書いたとおり、相撲が七大戦に参加するきっかけは、2000年の名古屋大学相撲部の復活でした。この名大相撲部が音頭をとる形で相撲で七大戦を行うことになりました。2001年3月、名大相撲部が主管となり、まずは総合体育大会の七大戦とは別に独自で開催しました。
さて、実際に行われた相撲七大戦、とは言っても大阪大学には相撲部がなく、実際は六大学で行われました。また、北海道大学は正規の相撲部はなく、この時は学生寮の有志が集まっての参加でした。因みに北大は、このような形で国公立戦にもたまに出場しており、もともとそういった伝統というか気質というか、そのようなものがあったようです。その一方、主管の名古屋大学は、工学部のとある研究室のメンバーが集まってできたもので、この当時は大学院生中心ながら、20名以上の大所帯でエントリーしていました。
名大は東大戦で1点取られた以外は全て5-0の完封勝利という圧勝劇。東大も、名大戦以外は5-0または4-1で他を圧倒。他の4大学は似たり寄ったりの成績でしたが、僅差で京大が3位に滑り込み。4位の北大、先に述べたとおりこの大会のために集められた急造相撲部でしたが、京大、東北大に勝ったりと健闘しました。東北と九大は、5人制の団体戦に3人で出場しており、まあそういう事です。これを書いている2015年現在では信じられないでしょうが、この当時は東北大と九大はライバルといってもいいくらいの力関係でした。
因みにこの大会では、総当たりが終わったあとに3位と2位のチームが対戦、次にその勝者と1位が対戦して優勝を決めるという、プロ野球のクライマックスシリーズみたいな事が行われました。ただ団体戦の結果を見てもわかるように、3位と2位、2位と1位の差がそれぞれ大きく、ここでの下剋上はありませんでした。
なおこの翌日には、各大学のOBや親交のある他大学にも声をかけて、オープン戦も行われました。今でもたまに行われるオープン戦やOB戦は、第一回の時点で行われていたのです。
大盛況で終了した第一回相撲七大戦ですが、その年の夏の会議を経て、まずはオープン競技という扱いながら、総合体育大会への参加が認められました。翌年からは総合体育大会と同じ時期、同じ主管校で行われる事となりました。
続く
以前書いたとおり、相撲が七大戦に参加するきっかけは、2000年の名古屋大学相撲部の復活でした。この名大相撲部が音頭をとる形で相撲で七大戦を行うことになりました。2001年3月、名大相撲部が主管となり、まずは総合体育大会の七大戦とは別に独自で開催しました。
さて、実際に行われた相撲七大戦、とは言っても大阪大学には相撲部がなく、実際は六大学で行われました。また、北海道大学は正規の相撲部はなく、この時は学生寮の有志が集まっての参加でした。因みに北大は、このような形で国公立戦にもたまに出場しており、もともとそういった伝統というか気質というか、そのようなものがあったようです。その一方、主管の名古屋大学は、工学部のとある研究室のメンバーが集まってできたもので、この当時は大学院生中心ながら、20名以上の大所帯でエントリーしていました。
結果
名大は東大戦で1点取られた以外は全て5-0の完封勝利という圧勝劇。東大も、名大戦以外は5-0または4-1で他を圧倒。他の4大学は似たり寄ったりの成績でしたが、僅差で京大が3位に滑り込み。4位の北大、先に述べたとおりこの大会のために集められた急造相撲部でしたが、京大、東北大に勝ったりと健闘しました。東北と九大は、5人制の団体戦に3人で出場しており、まあそういう事です。これを書いている2015年現在では信じられないでしょうが、この当時は東北大と九大はライバルといってもいいくらいの力関係でした。
因みにこの大会では、総当たりが終わったあとに3位と2位のチームが対戦、次にその勝者と1位が対戦して優勝を決めるという、プロ野球のクライマックスシリーズみたいな事が行われました。ただ団体戦の結果を見てもわかるように、3位と2位、2位と1位の差がそれぞれ大きく、ここでの下剋上はありませんでした。
なおこの翌日には、各大学のOBや親交のある他大学にも声をかけて、オープン戦も行われました。今でもたまに行われるオープン戦やOB戦は、第一回の時点で行われていたのです。
大盛況で終了した第一回相撲七大戦ですが、その年の夏の会議を経て、まずはオープン競技という扱いながら、総合体育大会への参加が認められました。翌年からは総合体育大会と同じ時期、同じ主管校で行われる事となりました。
続く
2015年7月19日日曜日
七大戦の話
七大戦とは
正式名称を全国七大学総合体育大会といい、北海道大学、東北大学、東京大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学、九州大学の旧帝國七大学によって行われる総合体育大会です。第一回は、1962年に北海道大学の主管で行われました。七大戦における相撲競技
七大戦に競技が採用されるためには、7大学中5大学で当該競技を行う、各大学体育会公認の団体がある必要があります(相撲が採用される時はそうでした。現時点では変わっているかもしれません)。七大戦において相撲が初めて行われたのが2001年。それ以前は、東大、京大、東北大、九大の4大学しか相撲部がなかったので、七大戦には参加できませんでした。また、毎年5月に国公立戦があり、七大学に該当する大学は国公立戦にも出場するので、あえて別に行うこともないのではないかという意見もあったように思います。この流れが変わったのが2000年。この年、名古屋大学に相撲部が設立されました(名大には戦前に相撲部があったらしく、正確に言うと復活ということになります)。この名大が音頭を取る形で、相撲も七大戦をやろうという機運が高まり、2001年第一回が行われました。この時点では、総合体育大会へはまだ参加しておらず、独自で行われた大会でした。この年の総合体育大会は東大が主管だったのですが、このような経緯から、この大会は名大主管で行われました。第二回大会から、総合体育大会に採用され(オープン参加→2008年に正式種目化)、総合体育大会と同じ大学の主管で行われることとなりました。
出場資格
原則初出場から4年間(医学部等は6年間)までという制限があります。1年次に入部していれば4年生までしか出られませんが、例えば3年から入部の場合は、大学院進学や留年などにより大学にとどまっていれば、4年生が終わっても、あと2年出場できるというわけです。ただし、団体戦(5人制)に出場するための最低限必要な人数(3人)に足りない場合に、大学に残っているOB(大学院や留年により)に限り出場できる救済措置があります(部員が2人しかいない場合はOB1人、部員が1人の時はOB2人の出場が可能)。この場合出場できるのは団体戦だけで、個人戦はエントリーできません。この規定がいつからできたのか、筆者は正確には覚えていませんが、私は第1回から3回まで選手として出場しましたが、このうち第2回と3回は、上記で言うところのOB枠だったのですが、個人戦にも出場しました。しかし、第3回終了直後の会議で、私が個人戦に出場したことで少々揉めた記憶があるので、第3回の時点で規定はあったのかもしれません。
また途中、OB枠の扱いが緩くなって、部員が5人に満たない大学の5人目としてOBが出場したケースもあったりしましたが、現在ではまた厳密になっている模様です。
なおこの規定は、相撲競技におけるもので、七大戦の他の競技に関しては、私はわかりません。
過去の記録
ご覧のように、初期は名古屋大学が他を圧倒、ついで東京大学が上位に入ることが多かったですが、近年では東北大学も上位に食い込むことが増え、現在は団体戦2連覇中です。
そして今年はその東北大学主管で行われます。
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